虹ヶ咲アニメ1話 桜坂しずくと『女生徒』について
TVアニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』が始まりました。第1話では侑と歩夢がメインで描かれましたが、筆者が推してやまない桜坂しずくの描写について備忘のためまとめておきたいと思います。
第1話の本編で桜坂しずくが登場するのは、学校の屋上。何やら演技の練習をしているようです。直後に先輩らしき人から「これからは演劇部に専念できるんでしょ?」と声を掛けられていることから、これは演劇部の活動なのだと判断できます。ダサジャージ可愛いですよね…
明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。けれども、
これは、太宰治の小説『女生徒』*1の終わり近くの文章です。『女生徒』は全編にわたって少女の独白という形式をとる小説なので、演技というより朗読の練習と言った方が良いかもしれません。わずか25秒ほどの場面です。
ラブライブ!と太宰治
早速脱線していますが、ラブライブ!に太宰治と聞いて、ニヤリとしたファンの方は多いでしょう。前作『ラブライブ!サンシャイン‼』(以下『サンシャイン』)と太宰には浅からぬ縁がありました。『サンシャイン』の主人公・高海千歌の実家は「十千万」という名前の旅館ですが、「十千万」は静岡県沼津市に実在する安田屋旅館がモデルとなっています。
HPにも「太宰治ゆかりの宿」と記載がある通り、昭和22年2月から約1ヶ月間、太宰は安田屋旅館に宿泊し、滞在中に『斜陽』を執筆したことが知られています。
また、同じく『サンシャイン』の登場人物である文学少女・国木田花丸には、作中で太宰の作品を読んでいる描写があります。例えば、2期12話で大会に臨む彼女が図書館で読んでいたのは、太宰治『風の便り』でした。
探せばさらにたくさんの繋がりが出てきそうです。このように、太宰は前作『サンシャイン』とそこそこ縁がある作家ですので、わざわざ太宰の作品を持ってきたのは巧妙な前作リスペクトなのかなあ…なんて想像してしまいます。実際どうなのかわかりませんし明らかになることも無いと思いますが。
ちなみに…太宰が滞在した部屋の名前は「月見草」の間(旧名:松の弐)なのですが、しずくのソロ曲*2の作詞作曲を担当しているのは月見草さんという方です。さらに言えば太宰の『富嶽百景』では「富士には月見草がよく似合う」という名文句が登場します。ここまで来ると運命的なものを感じずにはいられません。
自分らしさって一体何なんだろう
『女生徒』の話に戻りましょう。『女生徒』では、語り手である少女の1日を通して、変わらない日々を繰り返す閉塞感、本当の自分を探して煩悶する自意識の揺らぎが描かれます。
ほんとうに私は、どれが本当の自分だかわからない。読む本がなくなって、真似するお手本がなんにも見つからなくなった時には、私は、いったいどうするだろう。
「自分は、ポオズをつくりすぎて、ポオズに引きずられている嘘つきの化けものだ」なんて言って、これがまた、一つのポオズなのだから、動きがとれない。こうして、おとなしく先生のモデルになってあげていながらも、つくづく、「自然になりたい、素直になりたい」と祈っているのだ
思春期にありがちな心の動きと言ってしまえばそれまでですが、「演じてしまうこと」「本当の自分」の捉え方は、スクスタのキズナエピソードやソロ曲の歌詞で描かれたしずくの葛藤に通じるものがあります。
演じることを意識しないライブは、私自身、どこに拠り所をおいていいのかわからなくて……。だから、ぎこちないところが出てしまったんだと思います(中略)私のしてきたことって、何なんでしょう?自分らしさとはどういうことなんでしょう…… *3
自分らしさって一体何なんだろう
私を演じることと違うの? *4
キズナエピソード8話以降で、彼女は「あなた」やμ's、Aqoursとの遣り取りを通じて、「演じてしまう事だってきっと私らしさ」*5だと気づき、スクールアイドル桜坂しずくの進むべき道を見出します。しかし、同好会に戻らなければ、そして「あなた」に出会わなければ、彼女は『女生徒』に描かれたような自意識の迷路で光を見つけられないままだったかも知れません。まさに同好会との掛け持ちをやめた状況で彼女が『女生徒』を読んでいたというのも示唆的で、閉塞感や自意識の揺らぎを経験していたことが推測されます。
幸福は一生来ないのか
ここでひとつ疑問があります。しずくが朗読していた箇所を原文から引用してみましょう。
明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。
冒頭で引用したしずくの台詞と比較してみると、「それは、わかっている」の部分が省略されていることがわかります。*6この省略は何のために起こったのでしょうか。
単なる尺調整と言われればそれまでですが、読み手は桜坂しずくです。ラブライブ!シリーズ総合マガジン『LoveLive! Days』のコーナー「劇団桜坂しずく」では、彼女が有名なお伽噺の設定を改変した妄想劇もとい空想劇が繰り広げられます。古典の再構成を好む彼女が何らかの意図をもって台詞を変えたことは十分考えられます。…まあ、「劇団桜坂しずく」は冗談としても、尺調整以外の意図(しずくではなく制作側の)を感じる根拠として、「当該箇所の声の演技」を挙げたいと思います。
「幸福は一生、来ないのだ」というあまりにネガティブな台詞を、しずくは暮れかけの空に向かって力強く投げかけます。まるで何かの決意表明であるかのように。ただ、「けれども」で否定した後に不安を吹き飛ばすポジティブな文章が続くならば、この読み方にも納得できますが、原文はかなり諦念に満ち溢れています。数行あとにはこんな文章が続きます。
幸福は一夜おくれて来る。ぼんやり、そんな言葉を思い出す。幸福を待って待って、とうとう堪え切れずに家を飛び出してしまって、そのあくる日に、素晴らしい幸福の知らせが、捨てた家を訪れたが、もうおそかった。幸福は一夜おくれて来る。幸福は、――
幸福を希求する一方、どこか諦めた心持ちが読み取れます。あまり決然と語るような内容ではないでしょう。また、本作の朗読をいくつか聴いてみましたが、しずくのように声を張り上げる読み方は皆無でした。
以上を踏まえると、しずくの読み方は明らかに原作を素直に解釈したものではありません。では、太宰の文章から「それは、わかっている」を削り、力強く読ませることで、何を表現しているのか。それを理解するにはあまりにも描写が少なすぎますが、素直に考えれば「明日もまた同じ日が来る」「幸福は一生来ない」と心の底からは思っていないことになります。
アニメのしずくがどんな経緯で同好会を離れたのかは、1話を見ただけでは何も分かりません。スクスタでは、同好会を離れていたのは、表現力を磨くために演劇部で修行していたから*7という理由付けであり、同好会が危機に陥っていることは知らなかった、ということになっています。
しかし、1話での歩夢の描写を引き合いに出すまでもなく、スクスタとアニメはかなり設定が異なるようです。エマと果林の会話で言及されているように、同好会メンバーには「廃部」が明確に通達されているようですし*8、演劇部の先輩も「掛け持ちじゃなくなったわけだし、これからは演劇部に専念できるんでしょ?」と発言しています。明らかに「修行のための客演」というスクスタの設定とは矛盾します。また、掛け持ちではなくなったことを指摘されたしずくは、どこか悲しそうな表情を浮かべます。演劇部に専念するという状況は彼女にとって不本意なものであると考えられます。
そんな不本意な状況にありながらも、まだ彼女の胸の奥には、諦めきれないトキメキの火が灯っている。そんな思いが、力強く発される「けれども」に詰まっているのではないかなと想像しています。もしかしたら、本当は読むはずだった「それは、わかっている」を、思わず飛ばしてしまったのかも知れません。
最後に
『女生徒』の語り手は、幸福を夢見ながら顔を覆って眠りにつくことしかできません。
おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。
しかし、歩夢が自分のトキメキに従って夢への一歩を踏み出したように、しずくもまた、王子様に手を引かれるのではなく、自分の足で踏み出す日が来るはずです。それが何週先のことなのかまだ分かりませんが、その日を楽しみに、今週も画面の前に待機しています。
【参考文献】
太宰治, 1954『女生徒』 https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/275_13903.html (青空文庫)
伊藤友紀惠, 2017「太宰治「女生徒」論ーー視線意識と末尾」『阪大近代文学研究』14-15
李顯周, 2000「太宰治の「女生徒」と「皮膚と心」論 ーー「女生徒」と「皮膚と心」におけるジェンダーの世界」『文学研究論集 』17
*1:青空文庫で全文を読むことができます。 http:// https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/275_13903.html
*2:「あなたの理想のヒロイン」「オードリー」「やがてひとつの物語」の3曲
*4:2ndアルバム『Love U my friends』収録「オードリー」より
*5:3rdアルバム『Just Believe!!!』収録「やがてひとつの物語」より
*6:後半、演劇部の先輩に遮られて読めなかった「あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう」について、続くシーンで彼方が登場することから、巧妙なかなしずでは?との指摘もありました。
*7:スクスタ メインストーリー第1章第6話
*8:「少し活動を休止するだけって話だったのに、廃部だなんて」